2007年07月09日

過大評価と過小評価

 今日はギャルゲの話でも。どうでもいい話ですが、年を考えると、このジャンルを主食にするのは恥ずかしすぎるので、この手のゲームは年一本と決めております。いまさら見栄張ってどうするんだとも思うのですが。

でも年に一本程度やる分には悪くないと思うんですよ。ギャルゲって作者の趣味性や作家性がいい方向に働いている作品が多いです。先日ゲームミュージックの話をしましたが、今一番盛り上がっているのは同人市場でそれを支えている人たちはエロゲ、アニメなどの愛好者だったりします。見掛けだけ見ると馬鹿にされがちですが、しっかりしている所はセルアウトしているワックな作品群よりよっぽどマシだと思います。(おい、某音楽会社やアーティスト聞いてるか)

 さて、今回紹介するのは君が主で執事は俺で(体験版)(以下きみある)とパルフェスタンダードエディションの二本。おい、二本じゃねえかという突っ込みもあるでしょうが、きみあるをやろうと思ったら体験版でパスしまして、代わりのパルフェは追加シナリオ以外はプレイ済みな為、0.5本とずつと強引に自分を納得させましたww

 でやってみての感想。それはきみあるの場合ユーザーの期待が過大評価だった典型例で、パルフェの場合、ユーザーの評価が過小評価だなという所です。具体的には以下に。

 まずきみある。この作者の感性って、極めて現代的なんですね。なにがかというと、自分の好きな元ネタからサンプリングして、そのループを反復させることで、快感を引き出すという、典型的なミニマリストなんです。前作のつよきすも基本的にはこれが完璧につぼにはまったからこその好評価だった訳です。で今回のきみあるも体験版をやった限りでは、その基本に忠実すぎるほどです。ではなぜユーザーの受けが悪い(中古屋いったらもう3980・・・2000円台もあるようで)かというとそれ以上のことをユーザーが求めていたからに他ならないでしょう。

 これは他のジャンルでも往々に起こりえる話です。例えば、ヒップホップにDilated Peopleというアーティストがいるのですが、この人たちも、先行で出したシングル(ここで言うとつよきすですね)があまりにも良すぎたために、その後に出たアルバムで、同じ事をやったのに「物足りない」の声が続出しました。曰く、「つまらなくはないが」「マンネリ」「ひねりが無い」「作品全体でユーザーを楽しませる手法を覚えるべきだ」・・・。ね、ネットにあるきみあるの評価と変わらないでしょ。

 確かにここでこういった手法を見せることが出来れば神がかり的なんでしょうけど、神がかりを期待して、作品の評価の尺度にするのは、あまりにクリエイターへの理解が足りない。(まあワックな作品は別ですけどね)この人の持ち味は、同じ趣味を愛する人の琴線をチクチクとつく作品な訳だから。逆にこういう人の息は凄く長いし、好みさえ合えば大きくはずす作品は作りません。次の作品を見て、評価してもいいんじゃないんでしょうか。
おそらくですけどその時は、多少再評価されてると思いますよ。

 で、次はパルフェの追加シナリオ。これは逆の例ですね。そもそもオリジナルのパルフェはつよきすと全く逆のストーリーの重厚さと完成度で見せるタイプ。特に里伽子シナリオはたかがギャルゲの偏見で片付けるにはあまりにももったいない出来でした。そうなると当然、評価する側としては、最頂点とも言える里伽子シナリオを尺度で物事を考えます。さらに原作が好きであれば好きであるほど純粋で、真面目に考えてしまうわけです。

 私に言わせれば追加シナリオをそもそも里伽子シナリオを基準で比べること自体無謀でしょう。というのも、パルフェという作品は実質、里伽子シナリオシナリオありきで、他のシナリオはある意味その引き立て役といえるのですから(そういいたくなるほど個別シナリオでの里伽子への伏線は際立っていた)。つまり緻密に練り上げられて作品全体と、「おまけ」シナリオを比べているわけですから。そういう比べ方は追加シナリオを書いたライターさんにとってはあまりに酷な話と言えるでしょう。(中にはおまけがメインを食うような例もありますが、これはきみあるでも書いたように神がかり的な例です。)比べるなら、re:orderのssと比べるべきでしょう。

 原作が汚されたというような意見もありますが、これは例えば森進一のおふくろんさん騒動とユーザーの側の立場だけ見れば同種の話でしょう。つまり蛇足があっても基がしっかりしていれば、根本的な魅力は損なわれません。

 やっと個別シナリオの話に移るわけですが、ライターさんは悪気があってあのシナリオを書いているとは思えないということです。むしろ、作中のキャラクターを積極的にシナリオに絡ませたり、そのキャラクター自身を二次創作で良く見られるようなデフォルメかを行っていたりしています。つまり、「おまけ」としてファンに楽しんでもらおうという姿勢は両者変わりません。そういう意味で、原作が良すぎることが罪という、原作者以外が報われない話になっています。

 ただし瑞奈シナリオは明らかな手抜きか力不足。まず原作のキャラの立ち回りにふさわしくない設定をしながら、その設定をシナリオという形で全く生かせていないのが致命的でしょう。この話は中高生ならばあるいは共感が持てるかもしれませんが、私としては、「で、どうするの?」とやっぱり言いたくなる訳で、頑張るにしても頑張り方の見せ方が違うというか。第一過程がきちんと評価される社会なら、居酒屋での愚痴も激減し、とても居心地がいいでしょうね。

 逆に美緒シナリオは全く期待していなかったこともあって、そんなに悪いとは思いませんでした。まあいかにもゲーム的ではありますが、本編が重たいですから、これぐらいデフォルメされたシナリオは作品のシナリオがバリエーション的にあってもいいでしょう。

 ただこういう批判をする人たちの気持ちってよーく分かるんですよ。私も10年前なら確実にこういう批判をしていたと思いますし。そんなに慌てなくても、今後もゲームは逃げませんし、未来には傑作が山の様に控えているはずです。私達は日々を楽しみながらその瞬間に立ち会えるその時を待てばいいだけです。そして出来るなら、自分の得意とする分野で、その幸福の恩返しが出来れば最高でしょう。

posted by xxxxxx at 21:11| Comment(0) | TrackBack(0) | ゲーム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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